2011/12/07, 2012/0715
What am I lining for?
多くの人は、「何のために生きているんだろう。」と一度くらいは考えたことがあるのでは
ないでしょうか。しかし、この言葉は誰かに答えを求めるというよりも自分自身へ問いかけ
ているのだと思います。
仮に、「君はこれこれのために生きているんだよ。」と言われたとしても、それに納得する
人は、まず、いないでしょう。
果たして、この質問の答えはあるのでしょうか。私は答えを探すために生きているという
答えが、当っているように思います。
更に、私は思うのです。人間の何たるかを証明するために人は生きているのではないか
と。そして、人間が美しい存在であって欲しいと望むのです。しかし、それを他人に望むこと
はできません。なぜなら、他人が心の底で何を考えているかなど、私にはわからないから
です。
しかし、唯一、人間が何を考えているのかを知ることのできる存在を知っています。それ
は自分自身です。故に私は望むのです。自分自身が信頼できる存在でありたいと。
みんないつか死ぬことを知っています。死は生命の終わりかもしれませんが、それで全て
がなくなるのでしょうか。私は自分の身近な人の死を経験して悟ったのです。全てが消えて
なくなるという決まりはないのだと。決まりはないけど、それもあり得るということにも気付い
ています。でも、死によって全てがなくなるのは悲しすぎると思います。その時から、自分が
死んだ後にも何かが残って欲しいと望むようになりました。多分、これまでに亡くなった多く
の人もそれを望んだ筈です。故に、人は自分のやりたいことだけやっていても駄目なのだと
思うようになりました。
人間の存在を否定し、滅亡すればよいのではないかと考えたとき、何よりも美しい、すば
らしい、と感動する心が失われてしまうことが悲しいと感じました。現世に作り出された音楽
やスポーツでのプレーに感動するのは人間という存在であって、人類の築き上げてきた
文化に感動することのできる心が永遠に生き続けて欲しいと、願わずにはいられません
でした。
生きていくうちに人の醜い面を見てしまうのは事実かもしれないが、同時に人の美しい面
を沢山見聞きしたことも事実です。何より成長しようとする人類の可能性を疑うことができ
ないのです。
また、過去からの流れを断ち切る権利や、未来に生きる人の生活を奪う権利が自分達に
ある筈がないとも思います。
そして、自分が悠久の生命の流れの一部であることを悟りました。
そのときから決意したのです。生きていこうと。
過去から受け継いだ文化と文明を後世に伝えよう。できれば、自分で作り出したものを
この世に残していこうと。
生命の終わりを悟ったとして、その時から行動を変える必要があるのか?
私の答えは否です。
仮に何か不慮の事故で死ぬとしても、その人は直前まで何ら特別な行動をすることは
ないでしょう。普段通りであり続けることに何ら疑問の余地はありません。
逆に言えば、その普段を如何に過ごすかが重要なのだと思います。
今日死ぬかもしれないという可能性を意識して、やるべきことから順番にやることが大切
なのだと思います。