On Human Nature
社会生物学
Sociobiology
私が書いている内容の多くは、私の理性的判断(多くは後天的要因)によるもので、
ある意味堅苦しいと思われたに違いない。しかし、私は私の考えを書いただけであり、
実は善悪に関して触れたつもりはないのである。
マルクスが考えた社会主義・計画経済などの社会システムが成り立つのは、人が
白紙の石版(Blank Slate)であることを前提としたためらしい。別の言い方をすれば、
人が完全に理性で行動することが可能な生き物であることを前提としていると言って
もよいと思う。
しかし最新の研究では、生物学的に人の本性がBlank Slateではなく、人類の辿っ
てきた歴史によって刻まれた行動原理があるとされている。すなわち、遺伝によって
予め仕組まれた行動・善悪判断・価値観等があることが、ほぼ確定的となっている。
私個人としても、このことには何となく気付いていたので、従来の研究を探した結果
見付けた分野が、「社会生物学」である。
E.Oウィルソンが書いた「社会生物学」を理解するには膨大な時間がかかりそうなの
で、まず、人間について書かれた、On Human Natureの方から始めることにする。
最後に一つだけ付け加えておきたい。社会生物学により人間が遺伝に基づく思考
をすることが示されたが、同時に、それは文化的な思考を放棄するものではないとも
いわれている。人間の文化もまた、人間の特徴のひとつであることは否定しがたい
事実であると。
補足:
社会主義・計画経済が成り立つための必要条件は複数あるが、事実矛盾や現実
的に不可能な条件が含まれる。例えば以下のように。
・諸個人の状況を含む実社会の全状況を即時に把握できる。
そもそも人間は自然界に存在している訳であるが、自然界を計画的に制御すること
はおろか、自然界の未来を予測することすら人間の能力を超えている。
・把握した状態に対して政府が最適な政策を示すことができる。
仮に将来を正確に予測することができたとして、果たして中央集権的に最適な解を
示すことが可能だろうか?
・生まれたばかりの人間がBlank Slateである。
社会生物学要約
人間が社会を形成するのは、先天的にそれを望むからである。しかし、それは、
どのような社会でもよいというわけではない。人間が実際に生きていける社会
の形態には、人間としての遺伝的な制約がある。
ところで、人間の遺伝子はこれまでの歴史的経緯の中で偶然に生き残ってきた
結果であり、ある特別な遺伝子を残すという目的があった訳ではない。従って、
何か理想的な社会システムというものが仮にあったとしても、人間がそれを受
け入れられる訳ではない。形態・能力・発達過程、道徳・良心の判断基準等も
遺伝的な制約を受ける。
その制約はどの程度強いものなのか。その調査結果は以下のようである。
・範囲を限定することはできるが選択的である。(相反する自由度)
倫理、道徳も生来の人間性であり、また、
不義、殺人、自殺等も人間性の一部とされている。
その結果、以下の疑問(問題)が生じる。
・選択肢はあるが、どれを選択するべきなのか
・制約を制御する能力を手に入れた時、どのように制御するべきか
現在見受けられるものを含めて歴史上にみられる人間の社会体系の殆どすべての
相違点は、遺伝ではなく学習と社会条件によるとみなせる部分がある。
思索
仮に日本人という民族を定義できるならば、戦国時代や大戦時はやや極端としても、
数十年前まで、恐らく何万年にも渡って日本人も世界中の人々と同様の殺人を行っ
てきたのである。それが、極短期間のうちに殺人を憎悪するようになった原因が
遺伝子の変化によるものとは考え難い。
生まれたばかりの子供には何等かの選択権があると考えるのが妥当である。
その選択に影響を与えるのは、近くにいる大人達であり、最も大きな影響力がある
のは、もちろん両親である。
(つづく)